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山中亮平選手、空白の2年を経て捲土重来を期す [山中亮平]

早稲田入学時は「未来のスーパースター」だった山中亮平選手

山中亮平.jpg早稲田大学ラグビー蹴球部HPより引用


東海大仰星高校で3年時に全国高校大会優勝を果たす。早稲田大学では副将を務め、大学生ながら日本代表にも選ばれ、2010年5月8日に行われた2010年アジア5カ国対抗アラビアンガルフ戦で日本代表初キャップを獲得した。 2011年に神戸製鋼に入団。2011年ラグビーワールドカップ日本代表候補の一人であった。 2011年4月の強化合宿中に行われた薬物の抜き打ち検査で陽性反応を示す。これは育毛剤の成分が反応したと報道されている。 2011年8月10日、薬物検査陽性反応問題で、国際ラグビー評議会が山中に対し、2011年4月に遡って2年間(2013年4月)までの選手資格停止処分を決定した。山中本人は「口髭を生やすために育毛剤を使用してしまった」ことを弁明した。この資格停止処分に伴い、山中は神戸製鋼コベルコスティーラーズを8月9日付で一時退団した。 2013年には処分期間満了にともない神戸製鋼に再入団している。 2015年、ラグビーワールドカップ2015のバックアップメンバーに選出された。(ウィキペディアより引用)


中学2年生の時、サッカーからラグビーに転向。
東海大仰星高時代は、自由奔放なプレーぶりから「ファンタジスタ」と称された。
大型司令塔として花園で高校日本一に輝き、早稲田大に進学する。
1、2年時には大学選手権を制覇。
大学4年時には日本代表として初キャップを獲得した。
神戸製鋼に進んだ2011年に当時のジョン・カーワンHCに認められ、
ワールドカップを控えた日本代表合宿に参加した。

 だが、同年4月、IRB(国際ラグビーボード)が行ったドーピング検査で陽性反応が出て、2年間の資格停止処分が下され、プロとして入社した神戸製鋼ラグビー部を退部する。
練習も含めてラグビーをプレーすることは一切禁止され、ボールを触れることはもちろん、スパイクを履くこともほとんどなかったという。それでも山中はラグビーをあきらめなかった。

昨年の5月、山中は神戸製鋼ラグビー部に復帰する。
だが、空白の2年、ブランクの影響は大きかった。
昨シーズンの試合出場はたった2試合だけであった。

しかし、神戸製鋼は彼を復活させるべく、山中は今年から提携を結んだスーパーラグビーのチーフス(ニュージーランド)に派遣された。そのニュージーランドで世界トップレベルに触れ、自信をつかんだ山中は日本代表の合宿のメンバーにも選出された。
ワールドカップ最終登録メンバー31名には入れなかったが、13名のバックアップメンバーに名を連ねた。

空白の2年間を経て、彼だけにしか出来なかった経験を活かし、これからトップリーグそして日本代表で活躍してくれることを信じている。

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